栄光への5000キロ (1969)

笠原剛三の原作『栄光への5000キロ東アフリカ・サファリ・ラリー優勝記録』(荒地出版刊)を山田信夫が脚色し、蔵原惟繕が監督した。撮影は金宇満司が担当。

監督:蔵原惟繕
出演:石原裕次郎、仲代達矢、三船敏郎、浅丘ルリ子、キナラ、エマニュエル・リヴァ、伊丹十三

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栄光への5000キロ (1969)のストーリー

人間とメカニズムが大自然と極限状況で接する苛酷なレース。世界三大ラリーの一つモンテカルロ・ラリーに参加した五代(石原裕次郎)は、視界ゼロの濃霧の中で岩石に激突。昏睡状態から覚めた五代の目に像を結んだのは必死の看護を続ける恋人優子(浅丘ルリ子)の姿だった。その時、メカニックを担当したケニアの青年マウラ(キナラ)は、事故の責任を感じ姿を消していた。やがて春、五代の傷は癒えたが、落着いた生活を夢みていた優子の期待は見事に裏切られた。五代にとって、自動車レースこそが最大の生甲斐だった。富士スピードウェイの日本グランプリ・レースで、五代は親友ピエール(ジャン・クロード・ドゥルオー)の巧妙なレース妨害で優勝を逸した。五代が、日産常務高瀬(三船敏郎)から、大任を依頼されたのはそんな折だった。アフリカのサファリ・ラリー出楊がそれだった。五代は早速コースにもっとも精通したメカニック担当者マウラを探し出すことから始めた。折も折、優子かデザインの勉強のためパリに飛たった。だが、五代は彼女を追う訳にはゆかなかった。それから数日後、ナイロビ空港に降り立った五代をマウラが待受けていた。このレースには、日本グランプリで苦渋を味あわせたピエールも出場。四月三日、熱気によどんだナイロビシティホール前、大統領夫人のかざすスタート・フラッグがうち下され、カーナンバー1のプジョーが、スタートした。やがてカーナンバー90の五代チームも夜のとばりをついて多難なレースにスタートしていった。レースは苛酷そのもの、前半を完走したのは九八台中わずか一六台だった。そして後半の北廻りコースを、いや大自然を征服した五代チームのブルーバードが、大観衆の見守る中で優勝の栄に輝いた。群衆の中には優子の姿もあった。

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